平家の里
湯西川に残る平家落人の生活様式や秘話、伝説を後世に保存継承する為、
村内の民家を移築して再現した民俗村です。
平家の歴史を学んだり、木杓子・木鉢つくりの実演を見学したり、
当時の様子を知ることが出来ます。
1156年の「保元の乱」から1185年の壇ノ浦の戦いに至るまでの
長き「源平の合戦」に敗れた平家一門は、頼朝の「追討命令」から逃れ全国に散っていきました。
湯西川温泉にまつわる「平家落人伝説」を、当館に絡めて少々ご説明します。
源氏と平家の覇権争いは830年程遡りますが、平家の絶対的カリスマ「平清盛」も没した後でもあり、
西国に追われた段階ですでに源氏の戦力が大きく上回っていました。
瀬戸内海を中心に繰り広げられた「一の谷の戦い」「屋島の戦い」「壇ノ浦の戦い」において、
義経率いる源氏軍が平家を壊滅的に打ち破り、歴史年表上平家滅亡とされています。
「平家にあらずば人にあらず」とまでいわれ、巨大な権力を誇ったその反動は大きく、
全国に散っていった平家一門は頼朝の追討命令により山奥に逃げざるを得なかったのです。
湯西川に落ち延びた平家一門は、記録によると
「平清盛」の息子「平重盛」の六男「平忠房(忠実)」一行だといわれています。
この地には平家末裔といわれる宿が数軒ありますが、当館もまたそのひとつだろうと思われます。
我が家は姓を「伴」と名乗りますが、「平」の変形ににんべんを使った「平の人」の意味を持ちます。
こうして源氏の時代、息を潜めて生活してきたのも理由があり、当初逃げ隠れていた「鶏頂山」で男の子が産まれた際、
苦労の中にもめでたいことと布切れで鯉のぼりを揚げたところ、源氏方に気付かれ大打撃を受けることとなりました。
さらに山奥に生き延び、現在の湯西川を定住の地とした先人達は、この地においては
「鯉のぼりを揚げない」「犬や鶏を飼わない」「焚き火をしない」「米のとぎ汁を川に流さない」などが堅く守られ、
生活の形跡を残さない習慣がついたのです。
現在でも鯉のぼりを揚げると村の年寄りがダメだしをしてくるので、端午の節句には
紙のちっちゃな鯉のぼり(たなびきませんが) をTVの上に乗っけている程度なのです。
時は流れて1994年、ここ湯西川において「鎌倉頼朝会」の皆さんと湯西川平家末裔とが和睦の儀式を行い、
800年の遺恨に終止符を打つと共に「縁結びの地」として新たなスタートをきりました。
日本夜景遺産に選ばれた湯西川の冬のお祭り。
沢口河川敷ミニかまくらは雪と明かりのコントラストで幻想的な雰囲気。
湯西川に残る平家落人の生活様式や秘話、伝説を後世に保存継承する為、
村内の民家を移築して再現した民俗村です。
平家の歴史を学んだり、木杓子・木鉢つくりの実演を見学したり、
当時の様子を知ることが出来ます。
湯西川ダムとダム湖を探検する80分のツアーです。
普段は入ることの出来ないダム施設を見学したり、
ダム湖を水陸両用バスで遊覧したりすることが出来ます。
豪快な水しぶきを上げながらダム湖へスプラッシュインするバスは迫力満点!
詳しくはこちら
野岩鉄道・湯西川温泉駅に直結しており、
列車を利用する方にも便利な道の駅です。
湯西川の観光スポットなどの情報を紹介している他、
地元の食材が味わえる食事処、売店などがあります。
また、全国的にもめずらしい、天然温泉が楽しめる道の駅でもあります。
詳しくはこちら
温泉街の入口にあり、大きな水車が目印の観光センターです。
源泉掛け流しの温泉浴場・そばうち体験室・食堂・売店などが揃っています。「湯西川くらし館」では、地元の縄文土器や当時の生活の様子などが
再現されています。
詳しくはこちら
原生林に囲まれた「安らぎの森自然公園」では、
キャンプやバーベキューなどが楽しめる他、
川遊びや岩魚釣り、山菜採りなどが体験出来ます。
四季折々の表情を見せる森の中で、のんびりと自然を満喫してみませんか。
詳しくはこちら
2月3日 | 節分祭(平家の里) |
---|---|
1月下旬~3月上旬 | かまくら祭 |
6月第1土日 | 平家大祭 |
7月上旬~8月初旬 | 竹の宵まつり |
7月下旬 | かわあかり |
8月上旬~下旬 | オーロラファンタジー |
●観光・イベントの情報は 日光旅ナビ(日光市観光協会)
※開催予定は、急きょ変更する場合があります。
毎年6月5日に琵琶の演奏などが催される「前夜祭」が、
6日に平家の武者や姫に扮した総勢200名余が
新緑の温泉街を練り歩く「平安絵巻行列」が行われます。
栄華を誇った平家の時代が、今によみがえる祭です。